プロフィール

親父と叔母さんの米寿祝いをしたホテルのロビーにて焼きマシュマロをご馳走になりました。
スポンサーリンク

管理人mozukuの近況から

5~6年前に日記ブログをやりかけて挫折。
年末にふとYouTubeでmanablogさんの動画を見て奮起。
こういう働き方、生き方もありかな~と思いつつ、
時代の変化に乗り遅れたミドル世代の未来を案じながら、
私と同じ境遇の中にある方たちのお役に立つことができればと、
「心機一転」ブログを立ち上げる事にしました。
共に成長していくことができれば幸いです。
どうぞ末永く見守ってくださいませ。
よろしくお願いいたします。

10~20代の頃の私

高校を中退後10代~20代にかけ、大工の見習期間を経て、
20代は様々なジャンルの業界に足を突っ込む。
サーフィンに夢中になり、暇を見つけては伊勢、和歌山、四国へと足繁く通うようになる。
「最近ディスコブームが令和に再び」のような記事を見かけるが、1970年代ちょうどこの頃は
稼いだお金はすべてが車、サーフィン、ディスコに消えていったように思う。

価値観が180度変わる

4年後、日曜日になると決まって、パチンコ屋に行っていた父が、クリスチャンになった。
ヘビースモーカーだった父が煙草をやめ、パチンコをやめてしまった。
信じられなかったが、母と一緒に教会へ行くようになった。

当時私は重電機の整備、メンテナンスをしている会社に勤めていましたが、
出張が多く好きだったサーフィンに行く時間もとれず、
何よりも油まみれになるのが嫌で退職したところでした。

辞める前、仕事中に鉄の塊が背中に落ちて来た事が原因で、
胸膜炎になり2か月程入院生活を送り1か月の自宅療養をしていました。
自宅での療養中は本当に時間が止まってしまったかのような、
穏やかな時を過ごすことができました。
今まで見ることのなかった聖書がそこには置いてあり、
いつしか自然と手がのびて読みふけっていました。

しかし、読み進めるうちに、あまりにも今までの自分の生活とかけ離れた別世界がそこにはあり、
私は受け入れられることはないし、今まで通り日々を楽しく過ごしていくことはできるし、
自分の力でまだまだ上っていくことはできる。
「信仰なんて私には必要ない。」と、神、宗教を全否定する自分がいました。
しばらくして、年老いた祖父母が山中で暮らすことが困難になり、
田舎から出て来ることになりました。
まだ、常時、介護が必要ではありませんでしたが、祖父母との同居生活が始まりました。

いつ頃からか、祖父母までもが母に連れられ教会へ行くようになりました。
珍しく大阪に雪が降り積もった日曜日、「どうしようか?」足止めを余儀なくされたご一行様。

不憫に思い「車で送ってあげるわ!」と私。降り積もった雪がやけに眩しかった。

教会につくと信徒のみなさんが出て来て歓迎してくださり、
そっと耳元で「祈ってるからね」と囁かれ

え?と耳を疑ったのを覚えています。でもその言葉が心の中に残り続けていて、
こんな者のために祈ってくれている人がいるのかと思うと、
カチカチに凍っていた心がじわ~っと溶かされていくような感じがしました。

何故か以前に読んだ聖書の言葉が気になって仕方なく、
帰るや否や聖書を開いたのを覚えています。

「さあ来たれ論じ合おう」と主は仰せられる。
「たといあなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。
たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。
もし喜んで聞こうとするなら、あなたがたは、この国の良い物を食べることができる。
しかし、もし、拒み、そむくなら、あなたがは剣にのまれる」
と主の御口が語られたからである。            (イザヤ書1章18節)

祖父母が教会に行くようになったその年に離れて暮らす弟が、
続いて妹までもが、洗礼を受けることになりました。

そして私は1995年のクリスマスに初めてキリスト教会の中に足を踏み入れ、
初めて聖歌隊の歌う賛美歌を聞くことになります。

新たな船出

会社を退職後、私は以前やっていた建築業界に戻り、
小規模でも自分で商売をすることを目標に、現場での仕事をしていました。

30代になる直前に建築リフォーム業を開業。
しかし、なかなか思うように仕事は与えらえず、しばらくは手探り状態でした。

そんな中1996年に洗礼を受け、今に至るまで日曜日は教会へ行く日々を過ごしておりますが、

1998年に思わぬ大きな仕事を受注することになり、
その仕事を皮切りに徐々に固定客も増え、10年は安泰な生活を送っておりました。

そんな中、現場での仕事中に
「小さな仕事(小修繕)に駆けつけてくれる業者がなかなかみつからない」
「どこに頼めばいいのか?困っている」」というご近所やお客様の声をよく耳にするようになり、
お客様のそんなご要望にお応えするべく、
少しでもお役に立てればとリフォーム業の傍ら便利屋の看板を上げることに。

40代にはいると、平成不況の影響をじわじわと受けるようになり、仕事量は激減しました。
しかし、手当たり次第に配った便利屋のチラシの反響が想像をこえ、
一見客が増えるようになりました。

やがて2度3度と依頼を受けるうちに固定客となり、
本業のリフォームのほうも潤いを受けることに。

そしてリーマンショックがやってきます。

この頃から仕事の質が変わったといいますか、
これまで以上に細かい仕事しか入らないようになりました。

ふと新聞広告を見ると、大手業者までが、
かつて、自分が配布していたチラシにそっくりな広告を打つようになっていました。

「ああ。もう終わりかな~。」広告を見た瞬間にでてきた言葉です。

それでも、なんとかお客様にかわいがっていただき、2017年まで持ち堪えることができました。

奇跡としかいいようがありません。本当に感謝です!

これまで、大病に悩まされることもなく
(切り傷、擦り傷、打撲なんかはしょっちゅうでしたが。( ´艸`))

普通に暮らし、人生の折り返し地点を通過してこれたのも、
まわりで支えてくださり、応援してくださった皆様のおかげ様です。

この場をお借りして改めてありがとうございました。

いつでも、どんな時にも感謝することのできる心が与えられますように。

いつでも、どんな時にも子供のように素直で、きれいな心を持ち続けていく事ができますように。

いつでも、どんな時にも鷲のように翼をかって上っていくことができますように。

タイトルとURLをコピーしました